製造道具等の説明

玉初堂は平成15年(2003年)に創業200周年を迎えました。その年の4月、200周年を記念し、大阪のホテルニューオータニに全国のお得意先仕入先約500社をお招きして「創業200周年記念謝恩会と展示会」を開催しました。

その時展示しました当社の歴史でもある古道具類をご覧下さい。

渦巻線香製造機(明治後期)

明治時代に大阪で発明された渦巻線香はこの機械で巻き取って作っていました。
あらかじめ、長い線香の筋を押し出しておき、その一端に吊り糸を輪にして練りこみます。天面にある回転盤の中心に糸の付いた部分を押し付けて巻き取ると渦巻線香が出来上がるのです。2.5メートルの線香を巻き取り、乾燥させるのですが、線香同士が密着しているため均等に乾燥させるのは難しいです。

現在の新型渦巻線香

薬研(やげん)

漢方薬を粉末にしたり、挽いたりするために使う道具で、明治時代から使われてきたものです。

天秤

店頭で香木や焼香を量り売りするときに使っていました。

線香の調合には棹秤(さおばかり)を使っていましたが、現在と比較するとかなり大雑把でした。

戦前の油圧式線香押し出し機

左側に設けられた手動ポンプで作動油を上部のシリンダーに送り出すと、ピストンが下がり、下部シリンダーに仕込んだ線香の塊が巣金(ダイス)を通って筋状になって出てきます。油圧押し出し機が開発されるまでは、てこと滑車を組み合わせた木製の人力押し出し機が使われていました(巣金も樫の木製)。明治中期以降からは油圧を応用した機械になり、現在も基本的に同じ原理のものが使われています。

篩(ふるい)

漢方薬を薬研で砕いた後、篩にかけて粉末を分離します。篩は小型の木製で、少量の沈香など高価な香料を篩う時、飛散を防止するために密閉できる蓋がついています。写真は明治時代から使われてきたものです。

塗り看板 

大正年間に作られた看板です。4代目中造作五郎と親交のあった儒学者 藤沢南岳が詠んだ漢詩で、屋号の由来、トレードマークの「玉標」などについて記されています。(藤沢南岳は父の東崖と共に泊園書院(私塾)を主宰し、その門弟数千人を数えました。)

掛け時計 

大正12年9月1日、午前11時58分に起こった関東大震災のため、東京の店舗が焼失しました。当時、皇室から1千万円が見舞いとして被災者に配られました。

この掛け時計の裏には、「5代目中造金三がその下賜金の12円でこの時計を購入し、記念とする」と記されています。

初代九右衛門

文化元年(1804)、安芸の国(広島)にて雑貨卸商の暖簾を掲げ、中造屋九右衛門と称す。

値上げ通知 

当時は値上げに関して京阪堺薫香連合会で決定していました。しかもこの通知書、2割の値上げという一方的な内容になっています。今ならばそのような談合は法律で禁じられているはずです。

明治30年ごろの東京玉初堂(関東大震災で焼失) 

明治時代初期から開設準備を進めていました東京店が竣工し、営業を開始しました。この写真は蚊取り線香(当時は蚊遣り線香)の拡販のために宣伝隊が出発する風景です。

東京玉初堂は関東大震災で焼失、その後再建しますが昭和17年に閉鎖し、大阪だけを拠点にしました。