推古3年 夏4月の出来事…
「淡路島の西海岸に、一抱えもある大きな枯れ木が流れ着きました。
島人が薪に混ぜたところ、辺り一面に得も言われぬ薫りが漂ったので、
驚いてそれを取り出し、朝廷に献上した。」と日本書紀第二十二に記述されています。
時の摂政 聖徳太子は、それが沈水香木であることを既に知っていた、と言われています。
現在、淡路島一の宮町の伊弉諾神宮に志野流香道二十世 蜂谷宗玄宗匠によって
「香碑」が建てられ、この史実を顕彰しています。
推古3年 夏4月の出来事…
「淡路島の西海岸に、一抱えもある大きな枯れ木が流れ着きました。
島人が薪に混ぜたところ、辺り一面に得も言われぬ薫りが漂ったので、
驚いてそれを取り出し、朝廷に献上した。」と日本書紀第二十二に記述されています。
時の摂政 聖徳太子は、それが沈水香木であることを既に知っていた、と言われています。
現在、淡路島一の宮町の伊弉諾神宮に志野流香道二十世 蜂谷宗玄宗匠によって
「香碑」が建てられ、この史実を顕彰しています。